続ヨーロッパ紀行その6
ドイツから陸路国境を越え続け、ルクセンブルク大公国の首都である盧森堡市とベルギー王国及びヨーロッパ連合の「首都」ブリュッセルを渡りながら更に鉄道でドーバー海峡の海底隧道を通り抜け、イングランド王国及びブリテン連合王国の首都ロンドンへ到着しました。
初入国のルクセンブルクは隣接してることもありややドイツの空気が残っています。が、ザールブリュッケン州のトリーアからの国際バスに乗った頃からフランスの香りが漂って来ました。建築も質実剛健と言った風合いから柔らかい物へと変化してきます。車窓からは一面の青い森の世界です。カリブ海付近の抑揚でスペイン語を話していた焦茶色の肌の男の運転でバスは小一時で昼下がりのルクセンブルク市へ到着しました。
バスが着いた鉄道駅から、木々の緑に埋もれる要塞群を両側に見下ろすアドルフ橋を進み、その崖間際にある憲法広場を越えて行きます。小さな旧市街はあらゆる種類の世界の高級有名店が成しており、免税店溢れるピレネー山脈の公国アンドラを思い出させます。街並みはフランスが地中海の都市の様で煌びやかに輝いています。散策に僅かな時間で事足りた僕たちは、投宿先まで市内バスで移動し旅装を解いたのでした。その後宿付近の食料品店へ出かけてみるとその付近は極めて近代的な資本主義の最先端の様な街並みあり先程のとの違いに目を見張ります。そして巨大な店内には世界中の富を集めた様にあらゆる食べ物が溢れんばかりに陳列されています。
しかしこの豊かで清潔そして美しい国で本能的に直感した事、それはこの街の奇妙さでした。世界のあらゆる見た目の人間が跋扈していおり、バベルの塔がなくなった様にあらゆる言葉が聞こえてきます。それだけなら珍しくはない社会ですが、近代的街並みでは何か映画撮影の設営に恣意的にそれぞれの役割の出演者を設置した様な、人工的極まりない何かを感じさせるものがありました。旧市街も同様で曲がりなりにも歴史あるヨーロッパの君主国にも関わらず、その歴史文化財はわざとらしく取ってつけた様で現実と乖離している。またこの国の公用語であるはずのルクセンブルク語は殆ど聞こえて来ず外国語に取って変わられ、公共交通機関は全て無料、自由に人々は乗り降りしています。世の中の摂理を逸脱している様な感覚です。トルコのイスタンブールが毒のある街ならばここは無菌無臭でおよそ生命というものを感じさせない街でした。
ブリュッセルには4年前に続いてやって来ました。ここに来たのは実は偶然で、列車でロンドン入りするための発車駅のあるという理由でした。70代の夫婦と思しき受付が接客する投宿先はゆうに40年は越えていそうな建物で古き良き西ヨーロッパの匂いがします。建物内は80年代の思い出のヨーロッパそのものの年代らしきホテルで、文字通り同じ匂いがしました。受付の奥に伸びる廊下は調度品の様な内装で臙脂色の柔らかく敷かれた絨毯が似合い、同じ装いの扉を引くとそこは昇降機内です。移動中の昇降機と建物の間には何もなく、剥き出しの壁が目前で下降して行きます。
着いた部屋は家具や浴室の造りなども年季があり当時の図案そのもので薄型の受像機画面だけが最新、天井近くの壁から伸びています。間取りの充分な部屋には廊下と同じ敷き詰められた絨毯が似合うでしょう。置かれた寝台の上には長年使われてきた洗い立ての浴布が、また燐寸箱の様な簡易な石鹸が洗面台脇に数個置かれています。古い宿のためか偶々部屋に無線通信網が届かないホテルで、話をしたり物事を考えながらゆっくりと過ごさざるを得ないと言う意味でも昔そのものだったのです。
またやってきたこの街を歩くと前回とは打って変わって観光客でごった返しています。しかし既に前回の数十年ぶりの様な感動は消え失せています。回を重ねる毎に感性というものは益々鈍していくものなのでしょう。
初めてのルクセンブルクでも、何か理性的に計算しながら体験を受け止めている自分を発見しました。何かに衝撃を受けそれに振り回されるという事はありませんでした。
旅は生きている。きっと僕の旅は既に青年期とは違う物に育ち終わったのでしょう。仮に当時と同じ道程を同じ形式で遂行しても、更に同じ時代背景だったとしてももう向こうから僕に向かってやってくる出来事に振り回される事は無くなってしまいました。もうその様な旅をするのは手遅れです。
今の自分にしか出来ない旅があるのです。